
「BUCK-TICK」のボーカル櫻井敦司さんは、1991年にスタイリストで元嫁のサユリワタナベさんと結婚しました。
2人の間には1人息子が人います。
息子の遠野遥さんは文学界で活躍、平成生まれ初の芥川賞作家となりました。
目次
櫻井敦司の息子、遠野遥は芥川賞作家
櫻井敦司さんとサユリワタナベさんのは1人息子の遠野遥さんがいます。
【名前】遠野遥(とおのはるか)
【生年月日】1991年8月22日
【職業】小説家
【出身地】神奈川県藤沢市
【現住所】東京都
【学歴】
藤沢市立駒寄小学校
藤沢市立大庭中学校
神奈川県立柏陽高等学校
慶應義塾大学法学部法律学科
遠野遥さんが小説を書き始めたのは、大学3年生の頃
授業が落ち着いて時間ができたときに、お金のかからない趣味として書き始めたようです。
作品は、シンプルながらも深いメッセージを含むことが多く、独自のアプローチが多くの読者や批評家から高い評価を受けています。
2020年に「破局」で、第163回芥川賞を受賞!
28歳で受賞し、平成生まれ初の芥川賞作家として話題になりました。
受賞後のインタビューでは「受賞はゴールではないので 引き続き頑張りたいと思います。」
「まだ2作目なので早く3作目を読んでもらえるものを出したい。」と答えていました。
なんと、遠野遥さんはデビュー2作目で芥川賞を受賞しています。
遠野遥さんは、2019年のデビュー作「改良」で第56回文藝賞を受賞。
そしてデビューしてわずか1年ので 芥川賞を受賞すると言う快挙達成しました。
「父からは、会見の姿が凛々しかったと言われました」と語っています。
また「改良」のタイトルを考える過程でも、櫻井敦司さんからアドバイスを貰ったそうです。
2020年10月7日発売の「文藝」の対談で、櫻井敦司さんの息子が遠野遥さんであるということが明らかになりました。
「生まれながらの影響 抱きしめたいほどの虚無」と名付けられた親子対談が掲載されています。
遠野遥さんは、小学生の頃からBUCK-TICKの音楽を聴いて育ち、「このバンドはダークな雰囲気を持っている」と感じていたと述べています。
櫻井敦司さんは「それを聞いて、感動するよ」と感激
遠野遥さん自身の作品にも「明るさ」は少なく、「もしかすると、父のバンドの音楽が無意識に私の作品に影響を与えているかもしれない」と話しています。
親子の間の芸術的なつながりや、お互いへの影響が垣間見えるエピソードですね。
スポンサーリンク
櫻井敦司と元嫁サユリワタナベ結婚
櫻井敦司さんの活躍は1984年、「非難GO-GO」の結成に始まり、1985年、「BUCK-TICK」結成へと続きます。
「BUCK-TICK」の音楽はインディーズで大人気に1987年9月、メジャーデビューしました。
櫻井敦司さんと元嫁サユリワタナベさん(渡辺さゆり)の出会いもメジャーデビューした1987年頃です。
1990年の雑誌では、サユリワタナベさん(渡辺さゆり)のインタビューが掲載されていました。
当時、サユリワタナベさんはアルバム「SEXUAL×××××!」のスタイリングを担当し、そのプロモーションビデオで協力したのが初めての出会いだったようです。
サユリワタナベさんの年齢は不明ですが、結婚当時24歳とされ、1967年頃の生まれと推測されます。
櫻井敦司さんが1歳年上のようです。
1991年2人は結婚、すぐに息子の遠野遥さんが生まれました。
1992年10月23日号の「FRIDAY(フライデー)」によれば、授かり婚だったとの情報があります。
結婚発表当時、BUCK-TICKが「狂った太陽」をリリースし、同アルバムがレコード大賞最優秀アルバム賞を受賞。
歌詞は前年に死去した櫻井敦司さんの母を題材になっています。
そんな絶頂期に、櫻井敦司さんの結婚発表に ショックを受けたファンも多かったようです。
しかし、この幸せな家庭生活はわずか1年で終止符が打たれてしまいます。
なぜ櫻井敦司さんとサユリワタナベさんは離婚を選んだのでしょうか?
スポンサーリンク
櫻井敦司と元嫁サユリワタナベは1年で離婚
櫻井敦司さんとサユリワタナベさんは1年で離婚しています。
理由としては、櫻井敦司さんの母親の死が原因と言われています。
1990年、櫻井敦司さんは最愛の母を亡くされ、そのショックは計り知れないものでした。
母を亡くしたショックから生活は一変し、お酒への依存と女性遊びが激しくなったそうです。
1991年、櫻井敦司さん結婚は新たなスタートとして期待されました。
しかし、 母親を亡くした悲しみは大変大きなものでした。
女性関係の噂、お酒への依存…。これらが原因で、新婚生活はわずか1年で終わりを告げることになっと言われています。
離婚後、息子の遠野遥さんはサユリワタナベさんが引き取ることとなりました。
櫻井敦司にとって母は大切な存在だった
櫻井敦司さんにとって 母親の存在はとても大きいものでした。
1990年、BUCK-TICKが「悪の華 TOUR」のツアー中、母親が急逝しました。
兄は心配させたくないと母親の病状を伏せていたため、訃報は予期せぬものでした。
櫻井敦司さんは、子供の頃に家庭内暴力(DV)の影響を強く受けたとされています。
父親は暴力的で、櫻井敦司さん自身や母親に対しても暴力を振るっていました。
その後、東京への移住を控えている頃に父親が亡くなり、BUCK-TICKが順調に進み始めた頃に母親を亡くしました。
母親に恩返しができると思っていた矢先の出来事で、とても悔しい思いをしました。
2004年、櫻井敦司は再婚を発表
長い独身生活を経て、櫻井敦司さんは2004年、新たなパートナーとの結婚を発表。
再婚相手については、情報が非公開となっていますが、 一人娘がいるようです。
スポンサーリンク
櫻井敦司脳幹出血で死去
櫻井敦司さんが脳幹出血でこの世を去りました。
ファン、関係者、さらには日本の音楽シーン全体に深い悲しみをもたらしています。
櫻井敦司さんは、19日に神奈川・KT Zepp Yokohamaでの公演中に体調を崩し、そのまま病院に緊急搬送されました。
この訃報は、バンドの公式サイトを通じて発表され、多くの人々に衝撃を与えました。
独自の音楽性と深い歌詞で知られる櫻井敦司さんの早すぎる死は、音楽業界に計り知れない損失をもたらしました。
遺族は家族葬を行い、ファンや関係者からの心温まるメッセージに感謝の意を表しています。
ご冥福をお祈りします。
スポンサーリンク